
35年を超える『パドック』の歴史を紐解くと、代表・岡本辰彦と妻・マダムAkoが
それぞれユニークな足跡をたどってきたことがわかります。
どうやって、現在のパドックができあがったのか?
まずは岡本辰彦のレース人生からご覧ください。
岡本辰彦 Tatsuhiko Okamoto
株式会社パドック 代表取締役社長
1951年生まれ
1969(18歳)
4輪普通免許取得と共に、
ジムカーナをスタート。4輪レース界に足を踏み入れる。
1972(21歳)
設立間もない中山サーキットを中心にN360やB1100サニーで活躍。
耐久レースやフォーミュラカーレースでも頭角を現す。


1973(22歳)

山陽スポーツランド杯 ノーマルカーレースで優勝。
当時の雑誌記事(右写真)を抜粋してみると……
「予選2位の99岡本辰彦(サバンナ)がいいスタートを切る
~(中略)~
こうした背後での3位争いをよそにトップの99岡本は独走を続けていた。
~(中略)~
そうこうして、観客も真のコンペティションを楽しんでいるうちに15周という短いレースは終了。
トップはもちろん独走の99岡本だった」
1978(27歳)
中山サーキットでFLクラスを駆る。
表彰台の常連だったとか。
1979(28歳)
ホンダ・CB750Fがデビューすると同時に購入。
バイクも大好きだったが、
「自分で走って優勝する才能には恵まれていなかった」
「マシンを仕上げ、若手ライダーを走らせるほうが楽しかった」
と岡本は話す。
1980(29歳)
JAF SUZUKA GRAND PRIXに参戦。
この年、最高峰クラスのF2(2000cc・約300ps・35周)では星野一義、中島悟、高橋国光といった名ドライバー達がしのぎを削り、F3(2000cc・約160ps・20周)では鈴木亜久里(当時20歳)が頭角を現していた。
岡本辰彦は「毎回大混戦のスプリントレース(10周)」と称される「
フォーミュラリブレ550=FL-550」(軽自動車のエンジンをアルミモノコックフレームに搭載し最高速度は220km/h)に参戦。
当時のプログラムには、以下のように書かれていた。
「ハヤシ706をドライブする岡本辰彦、戸田RSⅢの前田照文のふたりは、ホンダ497ccエンジンでスズキエンジン勢に挑戦だ。ホンダは4サイクル2気筒、スズキは2サイクル3気筒という違いもあり、エンジンの特性もかなり違う。岡本がどこまで戦うか、彼の健闘に期待したい」
1981(30歳)
津山ナショナル製品(株)を退職。パドックの経営に専念する。
ルーツは、マダムAkoがひとりで切り盛りするCafeだった
1976
レーサー仲間の集まる小さなカフェ『Paddock』として創業。
夫・岡本辰彦は津山ナショナル製品に勤務。
マダムAko(あこ)がひとりで切り盛りしていた。
1977
運転免許を持たないマダムAkoだったが、
岡本辰彦の影響でクルマやバイクに乗り始める。
やがて「
ライダーの集まるカフェがある」という評判を聞きつけた、バイク用品メーカーの代表者たちがたびたび来店。これがキッカケで、岡山初のクシタニ取扱店に発展した。

●左写真:当時は赤いツナギを着て
ドゥカティ・350デスモを駆っていたマダムAko。
※ツナギはパドックに展示中。
その頃のことをよく知っている常連のお客様は……「すごくモテたねぇ。みんなAkoさんと一緒に走りたくて、クシタニのツナギを作ったんだ」と話す。
1981
1月2日に第1回「新春ツーリング」をスタート。
(このイベントは現在も続く)
10月には本田技研工業(株)と販売契約を結ぶ。
●右写真:右端がマダムAko。
クシタニのユーザーと共にツーリングを楽しんでいた。
1982
セーフティパーク津山を開設し、モトクロスや4×4レースを企画・主催。
レッドホンダミーティング開催時は、中国道・津山ICまで観客のクルマが並んだという。
現在はダンロップテストコース。
1983
津山市小原に移転し、新店舗をオープン。
(株)スズキ二輪、ヤマハ発動機(株)と販売契約を結ぶ。
●右写真:当時の新聞折り込みチラシ。
ヒロコノのロゴに添えられた解説は「アンアン・ノンノで紹介された女性ナナハンライダー・堀ひろこのオリジナルブランド。バイクはもちろんタウンウエアとしても着ていただけます。
岡山県下では『パドック』にしかありません」
……この「他店にないものを!」という姿勢が、現在にも受け継がれている。
1985

(株)カワサキモータースジャパンと販売契約を結ぶ。
聖地SUZUKAを目指し、
鈴鹿4時間耐久レースに初挑戦!
(以来、7年連続参戦)
※翌年には同じくFZ400Rで
決勝8位入賞を果たす。
1986
津山市二宮に移転。新店舗オープン。

スポーツサイクル(自転車)や外車ブランドも取り扱っていた。店内に「カフェ=集まれる場所」を併設しているのが、創業時からの伝統。
1987
(株)パドックに組織変更。
●右写真:当時はトラックにレーサーを積み込み、夜明け前に会社を出発。
下道で鈴鹿サーキットまで練習に通っていた。
1988
マリン事業部をスタート。

鈴鹿4時間耐久レースにNSR250Rで参戦。スポンサーはHRCとダンロップ。「この頃がいちばん速かった」と岡本。

●当時の新聞折り込みチラシ:アダムAkoの影響で女性ライダーも多かったようだ。チラシには「ツーリング参加者の5人に1人は女の子」と書かれている。
1990
「はっきり言って、遊びじょうずです。」のコピーが印象的。
オリジナル制作したマリンジェット&ジェットスキー用の
トレーラーも好評だった。
1992
鈴鹿8時間耐久レースにステップアップ!
(以来、3年連続参戦)
1994
岡山に
ハーレー・ダビッドソン専門店を出店。
(現在は『トライアンフ岡山』)
鈴鹿4耐初挑戦から10シーズン目を迎えたのを機に、レースから撤退。
「速くないからこそ、面白そう!」とハーレーに注力していく。
1996
「米国スタージスの日本版を!」との想いで、
湯郷ハーレーフェスティバルをプロデュース。
「晴れの国・岡山で開催されるハーレーミーティング」の立案・企画・運営に携わる。
●右写真:第3回湯郷ハーレーフェスティバル(1998)。
「初めて米国スタージスに行ったとき、街を挙げてライダーを歓迎し、いたるところでハーレーのレースが行われている光景に度肝を抜かれてね。これを日本でも……が第1回の開催趣旨」と岡本。
1997
アメリカ・シアトルツーリングを開催。
1998
出雲店オープン。
2000
東京ボートショーに、オリジナルのトレーラーを出展。
2001
創業25周年を迎える。
2003
規制緩和を受けて、
トライク=3輪バイクの製造を本格化。
オリジナルモデルの販売を始める。
2004

トライクメーカー
『
スリーホイール ジャパン』を設立。
2005
津山市下田邑に移転。
西日本初のトライアンフワールド店『
トライアンフ岡山』をオープン。

『遊びの発信基地 パドック』から『オトナのためのモーターサイクルストア Paddock』へと、コンセプトを昇華。ロゴも一新した。
2008

『トライアンフ岡山』を早島に移転オープン。
レンタルバイク事業も強化。
中国・四国・九州方面へのアクセスを
考慮して、津山と早島に拠点を構える。
年々、外国人利用客も増加中。
2011
MVアグスタジャパンと正規ディーラー契約を結ぶ。
2012
2012年 ロイヤルエンフィールドジャパンと正規ディーラー契約を結ぶ。
2013
2013年 BRPジャパンと正規ディーラー契約を結ぶ。
創業50周年へ向けて

1980年代、私(岡本辰彦)はこう考えていました。
「速くなければバイクじゃない。だから、目指したのは
スポーツバイク専門店。メーカーの垣根を越えて、お客さんが望むモノ、自分が気に入ったモノだけを取り扱いたい」……と。
やがて、転機が訪れました。
鈴鹿4耐に7年、鈴鹿8耐に3年。計10年におよんだレース活動も、ワークス優勢&ビジネス優先の風潮が高まるにつれて、参戦意欲が失われてきたのです。
「バイクって、もっと楽しいものじゃなかったのか?」
そんなときに出会ったのが、ブームになる前の
ハーレー・ダビッドソンです。
アメリカに視察に出かけると、街をあげてライダーを歓迎している光景に、我が目を疑いました。
「ライダーの持っている熱いモノって、国やジャンルに関係なく、一緒なんだ」って感じたんです。
こうして「レース大好き」だった私が、ツーリングの楽しさにも目覚めていきました。
「たどり着く先って
ツーリングではないでしょうか? 旅を楽しもうとすれば、そのためのメンテナンスもする、走り方も考える、ウエアも選ぶ。おまけに“人とのつながり”が広がって、バイクライフがいっそう豊かなりますからね」
そんな折に
トライアンフと出会い、専売店へと舵を切りました。
一方でトライクを開発し、レンタルバイク事業を企画し、猛然と走り続けて……
2011年に還暦を迎えましたが、生涯現役とばかりに、大型トライクの企画・開発・製造、
新たなバイク遊びの企画などに取り組んでいます。
半面、長女・岡本千絵が『パドック』を引き継ぐ決意を固め、
みなさまにもっと愛されるバイク屋さんを目指して、夢を膨らませています。
将来の具体的な姿をお話しできるのは、もう少し先になりそうですが、
一歩一歩、着実に進んでいるのは確かです。
これまで『パドック』とスタッフ一同を支えていただき、本当にありがとうございました。
そして、これからの新しい『パドック』も、どうぞよろしくお願いいたします。
もっとも、私が本当に第一線を退くのは、まだまだ先の話でしょうけどね(笑)
…………株式会社パドック 代表取締役社長 岡本辰彦 2016年